2018年3月30日金曜日

大学院を修了したけど

注意:このエントリーは自分語りです。本当に暇な人だけ読んでください。

今年度で大学院を修了しました。これによって修士(工学)が頂けたわけです。というわけで4月から晴れて社会人になります。おめでたい。

本当におめでたい?


おめでたいのは自分の頭のような気がしてならない。
本当に修了していいのだろうか?
あんな50ページ程度の成果もあまり出ていない論文でよく修了認定されたもんだと思う。
他の大学なら「もう一年がんばるドン」とか言われそうだ。

修士を振り返ると


論文に繋がるのは修士2年の10月から3月までの半年間ぐらいだ。
研究内容が決まったのが10月で、早速論文を読みまくって11月終わりにプログラムができた。
12月には修了要件の学会発表に行った。意見をもらいにいくつもりで行った。しかし、その分野の先生があまりいなかった。
そして2月に引用している外部の先生に連絡できたおかげで、ようやく論文が書けた。

プログラムもやっていることは理解したが、改善なんてできてなかった。むしろ劣化したのでは?と思う。
本当ならこれを修士1年の段階でやるべきだった。だけど、その頃を振り返ると、僕は別の研究をしていた。教授の研究だ。

学部生の時に引き継いだ内容だ。内容はわかるけど、全然納得ができなかった。
教授は自分の意見を言うけど、それがなんだと言うのだ、と言う感じで聞いていた。
とはいえ、この研究で僕は4回も学会発表(国内2件、海外2件)し、僕の後輩がその研究を引き継いだ結果、海外のジャーナルに掲載され、彼は学会で奨励賞を取った。
それでも、僕はその研究については先が見えなくて、その場しのぎっぽい研究に思えてならない。

あの研究をしていた頃の僕は意見する力がなかった。自分に自信がなかった。なにもできないと思っていた。なぜか僕をめでたくする某ブログもそれを手伝っていた。
だから修士をやめたかった。本当に研究ができない気がした。他の先生にも相談した。でも何をやっても無駄な気がした。カウンセリングもこのとき初めて受けた。(この顛末は卒業式話したので割愛)

区切りは最後の海外発表のあと


12月頃だった。教授に意見ができた。すんなり通った。
本当にあっさりしていた。教授は「そうですか」くらいしか言わなかった。

でも、この時期は就活で忙しかった。本格的に研究はできなかった。
合間に論文を読んだり、計画書を書いたりしていた。
ゼミも休んだし(そのせいかこの期間の成績がB。Aがトップ)、成果なんて出るわけなかった。
企業の人が「どんな研究しているんですか?」と毎回聞いてくるが、その度に辛い思いをした。

5月頃内定が取れた。研究もやりたい内容が固まった。
でも、新規性がなかった。教授も知っている情報は30年前だし、最後まで中身はアップデートされなかった。GMM(ガウス混合モデル)をHMM(隠れマルコフモデル)のことだと思っていた。ゼミのたびに訂正した。

新規性が出せるようになるまで論文を読んだ。けど、結局8月終わりくらいまで新規性は出せなかった。
その新規性も超苦しい。銅鉄実験と言われたらそこまでな気がした。
偶然にもネット上に研究内容とほぼ同じソースコードがあったから助かった。

9月の学会に出る予定だったが、想像以上にコーディングが進まなかった。
環境構築は簡単だが、scikit-learnのソースを読まないと理解できないことばかりだった。
そして、結局12月に学会に出られた。ブログの冒頭へと繋がる。

修士に入って


2年間の時間を失った。教授に一定の失望した。もちろん良いところもあるが、それ以上に失望をした。

かわりに、意見することとプログラムをじっくり読むスキルを得た。
自分のコーディング時間を見積もること、日報を書くことができるようになった。
他にもいろいろできることが増えた。

でも、修士を修了した時に全然やり遂げた感じがしなかった。
他の修士の人に情けないような感じがしてならなかった。

こんなのでいいんだろうか、と思いつつ、明日から会社の寮で暮らすことになる。
やり残したことを落穂拾いしながら社会人1年目をやっていきたいと思う。

1 件のコメント:

  1. やはり後悔していたのか…
    自分に自信が無かったから、教授に何も言えなかったんだな。
    ただ、俺は「しなかった後悔」ってのが一番残ると思うから、あきおはやはり何がなんでも我を通すべきだったと思うよ(とても難しいし疲れたとしてもな)。

    かく言う俺も「しなかった後悔」だらけなので、これから少しでも拭って行こうと思う。
    …その際に出る負債は、まあ自分で全部背負えるようにしてみせるさ。

    少しでもしてしまった後悔を拭えるように、お互い頑張ろうな~

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